地球が狭くなる、ということ

僕が初めて一年間サンフランシスコに住んだのは1991年から92年のこと。15年前で、当時はネットがまだなかった。家で妻とはもちろん日本語で話すが、テレビで一日30分だけ日本のニュースを見るのが、日本の情報との唯一の接点で、日本の会社とのやり取りもFAX。Skypeなどないから、高価な国際電話で日本の上司や同僚と話をするのはよほどのときだけだった。日本の情報に飢え、日本語で誰かと話すことに飢えていた。

でも最近は、iChatを日本の実家とこちらの食卓で開き、西海岸の夕食と日本の朝食の時間のタイミングを合わせて、皆で「一緒に」食事する人もいるんだってね。テレビ会議ならぬテレビ食事だ。どこのどのシステムをどう使うのかは聞きそびれたが、日本のテレビも全部リアルタイムでネットで見られるようにして暮らしている若い日本人もけっこういるそうだ。また親や親戚がかなり頻繁に、グローバル宅配便で日本でしか手に入りにくい食材やら(ときには漫画やらビデオやら・・・)を送ってくれるという例も多いらしい。いろいろな意味でのチープ革命の恩恵で、日本に近い環境が海外にも作りやすくなっているのだ。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 海外に住んでも母国語中心に生きること

ちょうど10年前、17歳の時にアメリカに留学した。当時はネットが少しずつ普及し始めた時期。家族で唯一メールアドレスを持っていた父と『ローマ字表記の日本語で』メール交換していたことが懐かしい。活字の日本語に対し、出国前の想像を遥かに超えた渇望が現地で生まれ、持参していた数少ない日本語の本を読み潰したのをよく覚えている。お気に入りだったのは「松本」の「遺書」。本の腹が真っ黒になるまで読んだなぁ。

「松本」の「遺書」 (朝日文庫)

「松本」の「遺書」 (朝日文庫)

『たった10年』とは言えない濃い10年だったこの10年、世の中の仕組みはインターネットを中心に大きく変わった。物理的なサイズは変わらないが、論理的、そして何より心理的に、地球のサイズはずっと小さくなったと言ってもよいと思う、特にインターネットのおかげで。次の10年がどうなるかは想像もつかないが、たとえどうなろうとも、『ローマ字表記の日本語で』メール交換するくらいのバイタリティを持って、なんとかかんとかやりくりしていきたいものです。